若者は塔の表面で生まれた。
両親もそうだったし、そのまた両親も恐らくそうなのだろう。
塔の表面上では飢えや乾きはなかった。
ただ寂しいと思えば連れ合いや子供を作り、時にそれらと別れる。そんな事の繰り返しだ。
やがて若者の両親は若者の足取りについていけなくなり、邪魔になるからと別れた。
もう二度と会うことはないだろう。塔を往くというのは、つまりそういうことだった。
もし一度擦れ違った人間と出会うとすれば、追い越した相手に追い越されるか、白服を着た塔の管理者かだ。
管理者は皆同じ姿で、神出鬼没だ。
無人になった家を片付けたり、塔の外壁を綺麗に拭いて回っている。
人に似ているが年を取る様子はなく、人間に積極的に関わろうともしない。
若者が子供の頃に壁に描いた赤紫のアミラメルクの花も、恐らく彼らが消しているのだろう。
どこか寂しげな横顔で、誰かの描いた猫の神の絵を消す姿をみたことがあった。
ただ、先に進む。他に道はなかった。
目の前の黒い宇宙には、宇宙とは質感の違う黒い塔が真っ直ぐに路を伸ばしている。迷うことなどない。
時折立ち止まったり、空を見上げたり、寝そべったりするくらいか。
やがて若者は恋をして、結婚して、ソリが合わずに別れ、また懲りずに人を好きになって、結婚した。
そんな事を繰り返して、何処まできただろう。
それでも、塔の先は見えない。
「自分が死ぬまでにはたどり着かないだろうな」
薄々そう理解する年になっていたが、三人目の妻はまだ美しく、その間に儲けた息子はまだ幼い。
何も悲しむことはなかった。
その日、管理者は睦まじく二体並んだガス状の亡骸を収魂瓶に収めていた。
亡骸のそばにあった眼を焼くような赤紫色のクレヨンに過去を思い出し、遠くに置いて来た両親を思う。
きっとこのような幸福な最後だったのだろうと厳粛な気持ちになるが、心の中でだけ祈って先に進む。
もう若者という年でもないが、まだ足を止める年でもなかった。
その場に残された管理者の指が遺品に触れると、クレヨンのしみのついた古い写真が崩れ落ちる。
……そこに映されていたものは嘗ての若者と両親であったような気がしたが、よもや確かめるものは誰も居ない。
塔は、まだまだ続く。
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